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作家 松沢直樹のブログ
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↑というのはネタですが、半分マジで考えてたりします。

だって、高級外車乗り回すわ、高級住宅地街に一戸建ての自宅があるのに、税金どころか、払うもの払わずにじゃんじゃん踏み倒してる輩がごろごろしてるらしいではないですか。

話題の給食費の未払いなんか、かわいいもので、中には、出産費用を踏み倒して海外旅行に行く親がいるんだって?

日本の税務署や地方自治体も、ロシアを見習って、正当な理由なく支払う物を支払わない輩は、裁判→強制執行なんて生ぬるいことをやらないで、タスクフォースを投入して取り立てるべきですな

(注:ロシアは、税務署の中に、悪質な税金未納者から税金を取り立てる武装取り立て部隊が存在する。未納通知を無視してると、夜明けとともに、覆面してマシンガンで武装した税務署の職員から自宅を取り囲まれるという、なかなかスリリングな事態になります)

しかしまあ、日本も乱れたねえ。
払えないものを取り立てるのは酷というものですが、持ってて払わないってのはどういうことよ。ついでに言うなら、ごねりゃ「俺様キングダム」で世の中渡っていけるっていう考えは、どこから学んだのかね。

清貧どころか赤貧(逆さにしても鼻血もでない)の文筆業に毎日を横たえる身でありながら、雀の涙(いや、みじんこの小便というべきか)ほどの金額ながらも税金を支払ってる身分としては、腹の立つ次第ですな。

なにより、そのよふな不届き千万な輩に、自分の納めた税金を使って行政サービスが提供されているというのが辛抱なりませぬ。

などと言ってもごまめの歯ぎしりというのは、よく存じている次第でして。ええ。
そういえば、奥様(誰に話してんだよ)、日本政府も、明け方に社会保険庁を解体するとかしないとかいった法案を通過させたそうですな。ええ、あっしは難しい話は、とんとわからないんでやんすけどね。

社会保険庁を民間の機構にして年金を保護して支払いは確保するというのも、なんだか国鉄をJRにして、別の会社として運営は存続させるけど、ふくらんだ借金は「はて?」というお話とそっくりのような気がするのですが、どうなのでせう。

いえ、「払わないとは言ってない。金が無くなっただけだ」という日本語マジック的な、お話にも聞こえないこともないわけで。そのあたりの玉虫色なお話を明確にしていただかないと、税金やら給食費やら果ては、我が子をお医者様に取り上げてもらっておきながら(ついでに言うなら我が子を放置して)「ありがとうございます」の一言も言わずに、出産費用を踏み倒して海外旅行に出かける馬鹿親共にも、しめしがつかないような気がするんでやんす。ええ。

てなことを日本の中心のTOKIOから叫んでも、どうにもならんことは、よく存じておりやすんで、はてどういたしませうか。

とりあえず今すぐ年金を支給してもらえる方法とか生活保護が降りる方法とかがないことはないんだけど、さすがにそいつを実行するのは気がひけるんで、差し押さえされたビルかなんかにでも居座ろうかしらん。(がらがらになったU○の賃貸マンションでもよろし)

寝床ができたら、とりあえず次はそうですねえ。

外資からねらい打ちされて年金の二の舞になりそうな郵便貯金を全部引き出して、小耳にはさんだ某国のファンドが5年ほどかけてねらい打ちにしていてそろそろ仕掛けそうな○○○やら○○○やら○○○やら、ついでに○○○○○の株でもちょこちょこ買っては売り、買っては売りでもして資金を増やしますか。まあ、手持ち資金があれなので、がっぱりお銭々が入るなんてことはありませんが、パンの耳くらいは買えるようになるでせう。

まあ85パーセントはフィクションの私めのファンタジーな独り言ですが(一部、ガクブルで読んでる方とか(誰とは言わないけどさ)、「○○○の株とはなんだ」とか必死にメール投げてくる方もいらっしゃると思いますが(教えるわけないじゃん)日本も住みづらくなったよのう。
よくよく世の中の風向きを考えないと、懐からお銭々を抜かれるどころか、お命ちょうだいになりかねないってもんだ。

飲んで食ってへべれけになって、目が覚めたら「はらいそ」にいたなんていったらそれはそれでいいんでやんすけどね。そうもいかないのが、文明国ニッポンが背負った十字架かも。ああ、朝から悩みはつきませんが、とりあえず今日も一日、明るい明日を目指して、松沢二曹は、匍匐前進する次第であります。

さて、お時間となったようで、それではみなさま後ほどご機嫌よう。かしこ

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作家の天沼春樹さんと、写真家の若林雄介さんのコラボ電子小説作品「浴槽」の発売を記念しての個展が7/1まで開かれています。

Photo et Texte La baignoire 展
天沼春樹+若林雄介+Jean-Luc Chénier
ブログ小説『浴槽(la baignoire)』から生まれたテキストと
写真によるインスタレーション

http://machi.monokatari.jp/author/yokuso.php

ブログ小説「浴槽」

6/30はお二方と、版元さんと電子書籍のパイオニア ボイジャー社さんの関係者の方を交えてトークライブが開かれるのですが、僕も飛び込み出演することに

ライブは 6/30 16:00~18:00まで
(要予約)

なお、18:00からは懇親会があるそうで、会費3000円でお食事付きだそうです。週末にぜひ

すいません、今日オファーが決定したので、詳細は追記させていただきますね。

諸々の原稿を入稿し、朝一で都内某所へ
打診のあった学校関係者との面談へ

あれこれ悩むが、結局、非常勤講師の依頼を断る。
経済的にも時間的にも生活のリズムになってよろしいと考えていたのだけど、どうもなあ。人様に物を教えられるような人間じゃないしねえ。

それに、文筆で身を立てているとはいえ、ボランティアで時間を割くほどの余裕があるわけじゃないから、時間の消費に見合う報奨じゃないしなあ。

てなことをやんわりとお話してお断りしましたが、暴言だったかしらん? 銭銭言うつもりはないんだけど、今の仕事削るなら、それなりの報酬を交渉していただかないと、干上がっちゃうしね。

昔から、文筆業で身を立てている人は、お金のことを話しちゃいけないといった風潮があるけど、今の時代、それはちょっとどうかと思うんだけど。まあ、条件交渉をご検討いただけるようでしたら、再考してみましょう。

気分を変えて、たまにお邪魔する蕎麦屋へ。
小上がりを陣取って、蕎麦を肴に日本酒を一合

板わさと蕎麦の実の味噌漬け、お新香のつきだし。
焼き鳥、天麩羅の盛り合わせ
締めに、江戸の蕎麦屋では珍しい挽きぐるみ(※)をせいろで

(※蕎麦の殻を除いた実の全ての部分をそば粉に挽いたもの。江戸では、蕎麦の実の芯の部分のみを、粉に挽いた更科・藪(御膳粉とも呼ばれる)を蕎麦に仕立てる店が多い。挽きぐるみは、蕎麦独特の香ばしい風味が楽しめるが、黒っぽい色になるので、昔の江戸ではあまり珍重されなかったらしい)

梅雨空と、まとわりつくような湿気は甚だ不快だが、日本酒の風味が引き立つから不思議だ。

少々甘めだが、こくのある純米酒「諏訪泉」を冷でちびちび舐めながら、つきだしをいただく。あっさり一合飲み干してしまったので、追加。

東京の酒「多満自慢」の山廃純米原酒を傾けながら、締めのそばをすする。
どうやら「当たり」だったらしく、酒米の「五百万石」が熟成した時にだけ生まれる独特の甘い香りがする上物だった。

日本酒はワインと同じくデリケートな酒で、同じ銘柄でも醸造された年の酒米の出来方や、湧き水の採水状態、醸造後の保存状態で、味が全く変わってしまう。

最近の日本酒は、銘柄問わず、風味が良いものが増えた。

一時、日本酒の原料となる「山田錦」や「五百万石」といった代表的な酒米が、新潟・兵庫・福岡などでしか栽培されなくなってしまっていたらしい。
だが、この十年ほどの間に、品種改良や、栽培技術の普及講習が行われ続けてきたようだ。その結果が、昨今の良質な日本酒の増産につながっているのだろう。

その背景に、太平洋戦争を機に、遮断されてしまった日本の歴史や文化に注目する人が増えたこともあるような気がする。

江戸から明治にかけて、国民が外国文化に一斉に目を向けた後、また国内の文化を見直すという動きがあった。
おそらく、今もまた日本は、その時期を歩いているのだろう。

そのたびに、新しい何かを内包しながら、伝統は新しい形で受け継がれていく。日本という国は、本当に不思議な国である。

この日本酒もそうだ。
少なくとも、今、自分が楽しんでいる日本酒は、江戸や明治の時代に作られていたものとは、全く別のものだ。

江戸時代に醸造されていた日本酒は、今よりアルコール度数がかなり低いし、昭和のはじめごろまでは、杉の樽に移し、木の香りを移した日本酒が珍重されていた。

(江戸時代の中ごろまでは、関東では日本酒があまり醸造されておらず、上方(関西)で醸造された日本酒を、舟で江戸に運ぶことが一般的だった。その際に、杉の樽につめられたことの名残だと思われる。

ちなみに、上方から江戸へ出荷することを「下る」と呼んだことから、「売り物にならない」「使い物にならない」「とるに値しない」といったことを「下らない」というようになった)

現在では、心白とよばれる酒米の中心部分を使い、琺瑯製のタンクに入れて醸造することで、米本来の香りとフルーティな風味を引き出した日本酒が珍重されている。

琺瑯製のタンクに入れて醸造する方法を取り入れたのは、新潟の若手酒造技術者の発明だと言われているが、その影には、当時欧州を模範としていた社会風潮の影響があったのは間違いない。

伝統的な手法を残しながらも、今の日本文化は、確実に欧州やアメリカの影響を受けている。しかしながら、その本質は変質していない。
次々と色々なものを飲み込んでは、自分の一部としてしまうこの国は、不思議な国である。

脱線したが、日本酒は不思議な点も多い謎の酒である。

日本酒は、日本人が主食ととしてきた米を原料にしているだけあって、和食との相性もよいが、洋食をはじめとした他国の料理との相性も素晴らしく良い。

ワインも同じ原理で作られるが、日本酒は、醸造の段階で、麹菌と酵母菌を共存させ、でんぷんを糖分に変換しながら、アルコール発酵を行わせる「並行複発酵」という、高度な技術が必要とされる醸造方法を採用している。

ルイ・パスツールが低温殺菌法を発明する100年以上前から、「火入れ」といった方法で、醸造後の酵母菌を殺菌する方法を発見して採用しているが、こういった方法はどこで見つけたのか。

安土桃山時代の火薬や鉄砲の大量生産と同じく、この国の自然科学に関する技術は、不思議な点が多い。

少々の酔いは思考を加速させるが、その後は酩酊に任せるに限る。まあ、小難しいことを考えるのはこれまでに。
そもそも、美味なものをいただきながら、小難しいことを考えるのは野暮というものだろう。

舌の上を通過する繊細な風味を楽しみながら、ほどほどの時間に茶で口をすすぐ。

しめて1700円ナリ。貧乏物書きにしては、贅沢な昼下がりでありますが、ここ数日食事をとっていなかったので、まあ、たまにはよろしいでしょう。

小雨の降る中、街をそぞろ歩く。
体が火照ると思ったら、どうやら微熱があるらしい。
長時間にわたって原稿を書いていると、ストレスからか、熱が出ることが増えた。

キリキリとした時間が、心の襞に積もらせたものを開放させられただけでも、価千金。

財布も軽くなったが、心も軽い。ケセラセラ。こんな日もありでしょう。雨もまた楽し。

3月10日
8月6日
8月9日
8月15日

これらの日が、何の日なのか、知らない人が増えたそうだ。
だとしたら、今日が何の日なのか、知らない人も多いだろう。

6月23日は、沖縄慰霊の日である。

62年前に終結した太平洋戦争中、米軍の上陸作戦によって、沖縄は日本で唯一、民間人を巻き込んだ地上戦を経験することになった。

1945年4月1日より始まった米軍の沖縄上陸作戦は、旧日本軍沖縄防衛第32軍司令官牛島満の自決によって、組織的な戦闘終了を迎えた。
それが、今日6月23日である。

太平洋戦争末期、戦力を急速に失った日本軍は、米軍の沖縄上陸を阻止するために、神風特攻隊による空母撃沈作戦などで決死の抵抗を試みる。だが、圧倒的な物量を誇る米軍の前に屈することとなる。

嘉手納に上陸を開始した米軍は、半径700メートル以内の建物が破壊される威力の砲弾を海上から集中的に浴びせ(鉄の嵐と呼ばれる)、日本軍との戦闘の中で、民間人を巻き込んだ膨大な犠牲者をもたらした。

米軍との戦闘の巻き添えになった方は、約20万人とも言われ、県民の4人に1人が亡くなったといわれる。(あまりにも激しい戦闘だったため、正確な数字は定かではないらしい)

戦闘に巻き込まれて亡くなった人ばかりではない。

投降して米軍の捕虜になろうとするとスパイとみなされ、日本軍兵士に殺害されるおそれがあると考えたり、よしんば米軍捕虜になっても殺害される恐れがあると考えた人たちも多かった。

そのため、沖縄本島や慶良間諸島では、ガマ(天然の洞窟)に非難した人たちが集団自殺を図るといういたましい出来事も多かった。

また、日本軍の強制接収によって、強制移住させられ、マラリアなどに罹患したり、栄養失調で衰弱死した人も少なくないと言われる。

もっとも、司令官を失った旧日本軍の抵抗は6月23日以降も続いた。

公的な戦争終結を迎えたのは、米軍第10軍司令部と琉球列島(沖縄)守備軍との間で沖縄戦の降伏調印式が行われた1945年9月7日のことである。

沖縄戦で何より悲惨だったのは、まだ学生だった少年少女が戦争に駆り出されたことだろう。

法的根拠なく従軍看護要員として駆り出された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員と女子学生からなる「ひめゆり学徒隊」は、297名のうち224名が死亡した。

さらに年齢の低い現在の高校生や中学生にあたる少年も徴兵された。

沖縄師範学校、県立第一中学校、県立第二中学校、県立第三中学校、県立工業学校、県立農林学校、県立水産学校、那覇市立商業学校、開南中学校 、県立八重山中学校からなる「鉄血勤皇隊」の生徒は、充分な装備も持たされないまま、司令部の壕を護るために徴用された。

徴用された1780名のうち、890名が亡くなるという、いたましい結果に至っている。

さらに悲惨なことには、開戦前にアメリカへ移住し、通訳として米軍に徴用され、かつてのクラスメイトに銃を向けなければならなくなった沖縄出身の少年兵もいたそうだ。

かつて、机を並べたクラスメイトに銃を向けなければならなくなった少年の心情は想像することもできないが、いかにかの戦争が悲惨だったかということは理解できると思う。

沖縄を含めた日本の戦争は、1945年に終わったわけではなかった。

少なくとも僕が生まれた1968年までは、小笠原に渡るのにはパスポートが必要だったし、沖縄も同様だった。

そして本来は日本の領土だった、北方領土や島根県沖の竹島は、日本の敗戦を機に不当な形で外国に占拠されたままの形で今に至っている。

「戦争が終わっていない」とは言わないが、大きな傷跡を残したままなのは否めないと思う。

日本が62年前に経験した戦争については、様々な意見が存在する。

あの戦争を様々な角度から眺めてみると、日本にとっても交戦国だった国にとっても、加害と被害の両面を併せ持った複雑な戦争だったから、それも当然のことだと思う。

何より大事なのは、様々な角度や立場からあの戦争を検証し、どうしたらまた戦争を起こさずにすむのか現実的な方法を導き出すことではないだろうか。

そして、かつて戦争を起こした私たちの国「ニッポン」を否定することで、歩き続けてきた現在の「ニッポン」の社会が、本当に幸福を手に入れることができたのか。

家族ですら信じることができず、社会全体の人たちが息苦しさを覚えるようになった社会が自由だとは思えないし、ましてや、真の意味での幸福ではないと私は考えている。

人それぞれ考え方は様々だろうが、もし今の社会に息苦しさを感じているとしたら、その解決の鍵は歴史の中にあるのではないだろうか。

わずか十数歳で命を落とさなければならなかった人たちがいた62年前の時代の人たちのためにも、私たちは幸福な時代を作る義務があるのではないか。

口幅ったい言い方だが、あの時代の歴史を正視するにあたって、決して声にはならなかった、その時代の若い人たちが後の時代に託した「自分につながる後の時代の人たちの幸福と平和を望む」声が聞こえてくるような気がするのである。

感染呪術「かまけわざ」と読みます。

 

「かまけわざ」というのは、日本の国土を造ったとされている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)という、男女の神様が交わる姿を演じることによって、雨を呼び、秋に実る稲や農作物の豊作を願うというもの。まあ、有体に言えば、いわゆる「雨乞い」です。梅雨なのに雨降らないしねえ。

 

この時期から真夏にかけて、日本中の各地で行われるお祭りなどで、面を被って男女の神が交わる姿を演じる催しを、よく見かけるようになります。中には結構過激で、ちょっと写真では公開できなさそうなお祭りも少なくないですが、ここらあたりが日本本来のおおらかさなんでしょうね。

 

(少なくとも日本は、明治時代になってキリスト教文化に根ざした欧州文化を積極的に輸入するようになるまで、男女の社会的役割や性について、おおらかな考え方が浸透していました。)

 

この「かまけわざ」。日本書紀に書かれている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)が日本の国土を生んだエピソードにあやかったもの。実際に、日本書紀に書かれているエピソードとは、かなりかけ離れています。

 

ご利益があれば、なんでもアリ。多少こじつけてでも、ご利益にあやかろうってのも、また日本的なおおらかさが感じられて、個人的には好きですね。

 

中には、女性が単独で妖艶な舞いを舞うと、神様が興奮して射精して雨が降ると信じられているお祭りもあるのだとか。

(てことは、雨を降らせる神様は男性ってこと。そいでもって、俗に言う雨女は、すごい美人さんってことになるのかな?)

 

こういったエピソードは、古代からの民間芸能である神楽(かぐら)や、中世に芸術として成立した能、江戸時代に民間に浸透した歌舞伎にも、その名残を見つけることができます。

 

話がいささか脱線しましたが、要は、国を作るほどの強大なパワーを持った神の力を自分たちのものにして、農作物や子供たちの健やかな成長や、物事が滞りなく進むことを願う考えがあるんでしょうね。

(日本書紀の国産みのエピソードは、めちゃめちゃ長くなるので、また別の機会に。まあ、興味がある方には面白い内容だと思いますが。四国が女性で、九州が男性とかさ。)

 

強大な力があるものを恐れると同時に、その力を自分のものにするという、呪術的な信仰は、日本だけでなく、世界中に存在するようです。

 

オーストラリアの先住民であるアボリジニの部族の中には、仕留めるのに時間がかかったカンガルーの骨を他の獲物に向けると、あっさり仕留めることができるようになると信じられているのだとか。

 

日本では、力のあるものの体の一部や、身につけていたものを譲り受けることで、自分に同じような力が身につくという考え方がありました。いわゆる感染呪術的な原始信仰ですが、その昔はそういった行為を「乞い」と呼びました。

男女が愛情を通わせることを「恋」と呼ぶのは、その名残だと言われています。

 

恋愛ってのは、良くも悪くも、男女それぞれのわがままな部分が一気に噴出してくる感情でもありますので、男女の恋愛にまつわる呪術的な行為っていうのは、時代が下っても様々なものがあるようで。

 

じいさま世代の殿方だと、情を交わした芸者さんの大事な部分のヘアを御守りに入れておくと、博打に負けないとかいうのがあったそうで。

時代がさらに下って太平洋戦争時には、奥さんや恋人の髪の毛を御守りに入れておくと、戦地で弾にあたらないとかいったいう話もあったらしいですね。なんでも、男性が女性にせがむのは野暮の極みで、女性がそっと男性に持たせるのが粋とされたそうで。

うーむ。女性の心は永遠の謎ですが、おそらく自分の体の一部分が離れた人と一緒にいるということに、心のつながりを見出したんでしょうなあ。

 

そういえば僕が学生のころ、モテモテ君は、卒業式に女の子から学生服のボタンをせがまれるなんて光景がありましたっけか。(あっしは、モテナイ君だったので記憶にございませんが)

ひょっとすると、あれも、神話の時代から続いた感染呪術(かまけわざ)の一つだったのかも。

 

当世の若い世代の方の恋愛事情はよく知りませんが、大好きな人から届いたメールを特別なフォルダに入れておいたり、携帯ストラップを御守り代わりにつける女性も多いようで。

 

これも神話の時代から形を変えて続いている感染呪術なのかもしれませんね。

この国には、形こそ変えてはいるものの、私たちの知らない形で脈々と伝え続けられている何かがあるようです。

 

この国に生まれて40年になろうかとしてますが、まだまだ知らないことがたくさんあるものです。不思議の国ニッポン。

 

もっとも一番よくわからないのは、今日現在のところ、年金保険料がどこに消えたのかということと、郵便貯金がちゃんと戻ってくるのかということですけど。



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プロフィール
HN:
松沢直樹
年齢:
56
性別:
男性
誕生日:
1968/03/03
職業:
著述業
趣味:
冬眠
自己紹介:
沈没寸前のコピーライター ライターです。ヤフーではなぜか「小説家」のカテゴリにHPが登録されてますが、ぢっと手を見る日々が続いております。
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