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作家 松沢直樹のブログ
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3月10日
8月6日
8月9日
8月15日

これらの日が、何の日なのか、知らない人が増えたそうだ。
だとしたら、今日が何の日なのか、知らない人も多いだろう。

6月23日は、沖縄慰霊の日である。

62年前に終結した太平洋戦争中、米軍の上陸作戦によって、沖縄は日本で唯一、民間人を巻き込んだ地上戦を経験することになった。

1945年4月1日より始まった米軍の沖縄上陸作戦は、旧日本軍沖縄防衛第32軍司令官牛島満の自決によって、組織的な戦闘終了を迎えた。
それが、今日6月23日である。

太平洋戦争末期、戦力を急速に失った日本軍は、米軍の沖縄上陸を阻止するために、神風特攻隊による空母撃沈作戦などで決死の抵抗を試みる。だが、圧倒的な物量を誇る米軍の前に屈することとなる。

嘉手納に上陸を開始した米軍は、半径700メートル以内の建物が破壊される威力の砲弾を海上から集中的に浴びせ(鉄の嵐と呼ばれる)、日本軍との戦闘の中で、民間人を巻き込んだ膨大な犠牲者をもたらした。

米軍との戦闘の巻き添えになった方は、約20万人とも言われ、県民の4人に1人が亡くなったといわれる。(あまりにも激しい戦闘だったため、正確な数字は定かではないらしい)

戦闘に巻き込まれて亡くなった人ばかりではない。

投降して米軍の捕虜になろうとするとスパイとみなされ、日本軍兵士に殺害されるおそれがあると考えたり、よしんば米軍捕虜になっても殺害される恐れがあると考えた人たちも多かった。

そのため、沖縄本島や慶良間諸島では、ガマ(天然の洞窟)に非難した人たちが集団自殺を図るといういたましい出来事も多かった。

また、日本軍の強制接収によって、強制移住させられ、マラリアなどに罹患したり、栄養失調で衰弱死した人も少なくないと言われる。

もっとも、司令官を失った旧日本軍の抵抗は6月23日以降も続いた。

公的な戦争終結を迎えたのは、米軍第10軍司令部と琉球列島(沖縄)守備軍との間で沖縄戦の降伏調印式が行われた1945年9月7日のことである。

沖縄戦で何より悲惨だったのは、まだ学生だった少年少女が戦争に駆り出されたことだろう。

法的根拠なく従軍看護要員として駆り出された沖縄師範女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員と女子学生からなる「ひめゆり学徒隊」は、297名のうち224名が死亡した。

さらに年齢の低い現在の高校生や中学生にあたる少年も徴兵された。

沖縄師範学校、県立第一中学校、県立第二中学校、県立第三中学校、県立工業学校、県立農林学校、県立水産学校、那覇市立商業学校、開南中学校 、県立八重山中学校からなる「鉄血勤皇隊」の生徒は、充分な装備も持たされないまま、司令部の壕を護るために徴用された。

徴用された1780名のうち、890名が亡くなるという、いたましい結果に至っている。

さらに悲惨なことには、開戦前にアメリカへ移住し、通訳として米軍に徴用され、かつてのクラスメイトに銃を向けなければならなくなった沖縄出身の少年兵もいたそうだ。

かつて、机を並べたクラスメイトに銃を向けなければならなくなった少年の心情は想像することもできないが、いかにかの戦争が悲惨だったかということは理解できると思う。

沖縄を含めた日本の戦争は、1945年に終わったわけではなかった。

少なくとも僕が生まれた1968年までは、小笠原に渡るのにはパスポートが必要だったし、沖縄も同様だった。

そして本来は日本の領土だった、北方領土や島根県沖の竹島は、日本の敗戦を機に不当な形で外国に占拠されたままの形で今に至っている。

「戦争が終わっていない」とは言わないが、大きな傷跡を残したままなのは否めないと思う。

日本が62年前に経験した戦争については、様々な意見が存在する。

あの戦争を様々な角度から眺めてみると、日本にとっても交戦国だった国にとっても、加害と被害の両面を併せ持った複雑な戦争だったから、それも当然のことだと思う。

何より大事なのは、様々な角度や立場からあの戦争を検証し、どうしたらまた戦争を起こさずにすむのか現実的な方法を導き出すことではないだろうか。

そして、かつて戦争を起こした私たちの国「ニッポン」を否定することで、歩き続けてきた現在の「ニッポン」の社会が、本当に幸福を手に入れることができたのか。

家族ですら信じることができず、社会全体の人たちが息苦しさを覚えるようになった社会が自由だとは思えないし、ましてや、真の意味での幸福ではないと私は考えている。

人それぞれ考え方は様々だろうが、もし今の社会に息苦しさを感じているとしたら、その解決の鍵は歴史の中にあるのではないだろうか。

わずか十数歳で命を落とさなければならなかった人たちがいた62年前の時代の人たちのためにも、私たちは幸福な時代を作る義務があるのではないか。

口幅ったい言い方だが、あの時代の歴史を正視するにあたって、決して声にはならなかった、その時代の若い人たちが後の時代に託した「自分につながる後の時代の人たちの幸福と平和を望む」声が聞こえてくるような気がするのである。

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感染呪術「かまけわざ」と読みます。

 

「かまけわざ」というのは、日本の国土を造ったとされている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)という、男女の神様が交わる姿を演じることによって、雨を呼び、秋に実る稲や農作物の豊作を願うというもの。まあ、有体に言えば、いわゆる「雨乞い」です。梅雨なのに雨降らないしねえ。

 

この時期から真夏にかけて、日本中の各地で行われるお祭りなどで、面を被って男女の神が交わる姿を演じる催しを、よく見かけるようになります。中には結構過激で、ちょっと写真では公開できなさそうなお祭りも少なくないですが、ここらあたりが日本本来のおおらかさなんでしょうね。

 

(少なくとも日本は、明治時代になってキリスト教文化に根ざした欧州文化を積極的に輸入するようになるまで、男女の社会的役割や性について、おおらかな考え方が浸透していました。)

 

この「かまけわざ」。日本書紀に書かれている伊奘諾尊命(イザナギノミコト)、伊奘再尊命(イザナミノミコト)が日本の国土を生んだエピソードにあやかったもの。実際に、日本書紀に書かれているエピソードとは、かなりかけ離れています。

 

ご利益があれば、なんでもアリ。多少こじつけてでも、ご利益にあやかろうってのも、また日本的なおおらかさが感じられて、個人的には好きですね。

 

中には、女性が単独で妖艶な舞いを舞うと、神様が興奮して射精して雨が降ると信じられているお祭りもあるのだとか。

(てことは、雨を降らせる神様は男性ってこと。そいでもって、俗に言う雨女は、すごい美人さんってことになるのかな?)

 

こういったエピソードは、古代からの民間芸能である神楽(かぐら)や、中世に芸術として成立した能、江戸時代に民間に浸透した歌舞伎にも、その名残を見つけることができます。

 

話がいささか脱線しましたが、要は、国を作るほどの強大なパワーを持った神の力を自分たちのものにして、農作物や子供たちの健やかな成長や、物事が滞りなく進むことを願う考えがあるんでしょうね。

(日本書紀の国産みのエピソードは、めちゃめちゃ長くなるので、また別の機会に。まあ、興味がある方には面白い内容だと思いますが。四国が女性で、九州が男性とかさ。)

 

強大な力があるものを恐れると同時に、その力を自分のものにするという、呪術的な信仰は、日本だけでなく、世界中に存在するようです。

 

オーストラリアの先住民であるアボリジニの部族の中には、仕留めるのに時間がかかったカンガルーの骨を他の獲物に向けると、あっさり仕留めることができるようになると信じられているのだとか。

 

日本では、力のあるものの体の一部や、身につけていたものを譲り受けることで、自分に同じような力が身につくという考え方がありました。いわゆる感染呪術的な原始信仰ですが、その昔はそういった行為を「乞い」と呼びました。

男女が愛情を通わせることを「恋」と呼ぶのは、その名残だと言われています。

 

恋愛ってのは、良くも悪くも、男女それぞれのわがままな部分が一気に噴出してくる感情でもありますので、男女の恋愛にまつわる呪術的な行為っていうのは、時代が下っても様々なものがあるようで。

 

じいさま世代の殿方だと、情を交わした芸者さんの大事な部分のヘアを御守りに入れておくと、博打に負けないとかいうのがあったそうで。

時代がさらに下って太平洋戦争時には、奥さんや恋人の髪の毛を御守りに入れておくと、戦地で弾にあたらないとかいったいう話もあったらしいですね。なんでも、男性が女性にせがむのは野暮の極みで、女性がそっと男性に持たせるのが粋とされたそうで。

うーむ。女性の心は永遠の謎ですが、おそらく自分の体の一部分が離れた人と一緒にいるということに、心のつながりを見出したんでしょうなあ。

 

そういえば僕が学生のころ、モテモテ君は、卒業式に女の子から学生服のボタンをせがまれるなんて光景がありましたっけか。(あっしは、モテナイ君だったので記憶にございませんが)

ひょっとすると、あれも、神話の時代から続いた感染呪術(かまけわざ)の一つだったのかも。

 

当世の若い世代の方の恋愛事情はよく知りませんが、大好きな人から届いたメールを特別なフォルダに入れておいたり、携帯ストラップを御守り代わりにつける女性も多いようで。

 

これも神話の時代から形を変えて続いている感染呪術なのかもしれませんね。

この国には、形こそ変えてはいるものの、私たちの知らない形で脈々と伝え続けられている何かがあるようです。

 

この国に生まれて40年になろうかとしてますが、まだまだ知らないことがたくさんあるものです。不思議の国ニッポン。

 

もっとも一番よくわからないのは、今日現在のところ、年金保険料がどこに消えたのかということと、郵便貯金がちゃんと戻ってくるのかということですけど。


キャッシング比較
ならくらべる君

冷たい雨が鉄橋を叩く夜
電車が通るたび、店はかたかたときしむ。

テーブルもない
あるのは5人も座れば一杯のカウンターだけ

気の利いた肴はない。
あるのは、湿ったピーナッツだけ

贅を感じさせる酒はない。
あるのは、今日一日の出来事に麻酔をかけられる
強烈なウオッカだけ

洒落た会話を楽しむ者はいない。
聞こえてくるのは
この国のシステムに疲弊した嘆きと
明日の不安と怒号だけ

ラグジュアリーな香りを放つ花なぞない。
漂うのは安物のトワレと
客がぶちまけた小便と、ゲロの混ざったにおいだけ

まるでこの世のソドムとゴモラだ。

滅多なことでは動じない神父ですら、杯を重ねるたびに
思わず祈りを捧げる有様だ。

そんな中で彼女は笑う。

天井をゆする電車の音に笑い転げ
ウオッカを一気飲みして、トイレのドアを開けたまま
ゲロをぶちまける客を指差して、また笑い転げる。

乳房に手を伸ばした酔客の手を払いのけながら
毎日が楽しくてしょうがないと笑う。

「明日の希望なぞない」と嘆く人の前で、幸福だと笑う。

彼女はコロンビアから来たという。

毎日眠れる場所があって、働けば働くほどお金が手に入る場所を手に入れたから幸せなのだそうだ。

今は忙しすぎて何も考えられないけど、それも守られてるからじゃないかな。きっと今は時間があると色々なことで悩んでしまうと思うから。

そう言って彼女はウオッカを一杯だけあおった。
その後、彼女はまた笑い転げた。
目鼻立ちのはっきりした顔の中にある瞳は、いつのまにか警戒の色を消していた。

「日本は好き?」
「好きよ 危ない場所が少ないし、何でもあるし
 働けばお金も手に入るし。
 オトコはみんなムッツリスケベだけどね」

「お酒は好き?」
「好き、よく眠れるから」

「どんなお酒が好き?」
「お店の残りのウオッカ飲んでるよ。
 たまに贅沢してワイン飲むときもあるよ」

「眠れない日はある?」
「あるよ」

「どんなことで?」
「理由があることとか、ないこととか。
 なんとなく不安になるときって誰にでもあるでしょ?
 不安になるのも、考える余裕があるからよ。
 本当はそれだけ幸せなのよね」

心に深く突き刺すような
強い強い力をたたえた彼女の言葉を
無言のままウオッカと一緒に飲み干す。

今度は彼女の言葉を打ち返す。

「兄さんは、なぜこいつらみたいに、
 あたしのおっぱい触ろうとしない?」
「触りたいと思わないから」

「女よりもオトコが好きなの?」
「いや、女の人の方が好きだよ。
 だけど人を好きになるまで、すごく時間がかかるから」

「いっぱい秘密がある?」
「言葉にできないことを秘密というなら、
 たくさん持ってるね
 言葉になることは、できるだけ言葉にしようとしてるけど。
 まだまだたくさん、言葉にならないことがある」

「毎日一生懸命生きてる?」
「うん、僕は他の日本人が考えるみたいに80歳くらいまで、つつがなく生きられるとは思ってないから」

「どして?」
「うまく言えない」
「秘密なの?」
「そういうわけじゃない。うまく言えない」
「それを秘密っていうのよ」
「そうかもね」

「夢はある?」
「あるよ、いっぱい。自分の書いた話を本にすること。
 いくつかはかなえたけど。まだまだかなえたりない」

「毎日楽しい?」
「ほんの二年前までは、死ぬほど苦しかったけど、今は最高に 毎日が楽しいよ」

「なぜ苦しかったの?」

「大病して、仕事がなくなって、両親が死んで、おまけにお金 に困る羽目になったからかな」

「乗り越えた?」
「たぶんね」

「なぜ秘密を話してくれたの?」
「話したつもりはないよ。ウオッカのせいかもね」

「私の夢はね」

僕がショットグラスのウオッカを開けると、彼女は言った。

「コロンビアに残してきた子供と一緒に日本に住むこと。
 誰かの戸籍を借りて日本に帰化しようと思ってるの」

「うまくいきそう?」
「あとはお金ね」

このろくでもない世界のために祈ろう。

預言者の言葉を成就させるために
この世界を焼き払うために降りてくる
裁きの天使に救いを願おう。

何かを狂わす時計の針がこれ以上
進まないように

一緒にいるべき人がそばにいられるように

満たされない人が満たされるように

溢れるほど手にしたものを納める倉の中で
空しさに包まれる人たちが満たされるように

何かをゆがめる時計の針が
もうこれ以上進まないように

裁きの天使に祈ろう。
たぶん届くことのない声を張り上げて
この世界の底から祈ろう

 


キャッシング比較
ならくらべる君

 
あたふたしている間に、日付変更線を越える時間になりましたが、締め切りが迫っているというのに、原稿真っ白状態っす。

企業の販促用漫画のシナリオ1本と、短編映像のシナリオ1本(漫画はシナリオっていうのかな)

映画のシナリオは何本も書いているので、それなりに勝手がわかるのだけど、漫画原作の仕事は経験がないから四苦八苦。

基本的に、最終的に漫画を起す漫画家の方に、ストーリーを伝える意思疎通が図れるものを渡せればいいんだろうけど、ビジネスの販促物コミックって、一般商業誌の漫画原作のお仕事とは、かなり温度差があるような気がする。

こういったところをうまく調整して、新たなスキルにしながら、なおかつ自分の持ち味を出せることが大事なんだろうね。

自分一人で全てを表現してしまう小説と違って、また違った苦労はあるけど、いい仕事になるように全力をつくしませう。

寒梅や
春までに散る身なれども
けふ咲かせうぞ
我が春の華



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HN:
松沢直樹
年齢:
56
性別:
男性
誕生日:
1968/03/03
職業:
著述業
趣味:
冬眠
自己紹介:
沈没寸前のコピーライター ライターです。ヤフーではなぜか「小説家」のカテゴリにHPが登録されてますが、ぢっと手を見る日々が続いております。
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